光の還し手です。あなたは、信じてしまったのですね。「必ず増える」「今だけ」「あなただから、特別に」――そのやさしい、あるいは頼もしい言葉を。そして、気づいたときには、お金は、もう戻らないところへ、消えていた。今、あなたの胸のなかは、失ったお金の痛みと、それ以上に、「どうして、あんな話を信じたんだ」「なぜ、見抜けなかったんだ」という、自分を責める声で、いっぱいなのではないでしょうか。眠ろうとしても、その声が、何度も何度も、あの日の自分を、責め立てる。――今夜、わたしは、その自分を責める刃を、あなたの手から、そっと、下ろさせてほしいのです。あなたは、たしかに、お金を失いました。それは、本当に、つらいことです。でも、あなたは、あなたが今、思い込もうとしているような、「愚かな人間」では、断じて、ありません。つけこまれたのは、あなたの弱さや、頭の悪さではなく、もっと、別のもの――あなたの、いちばん人間らしい部分のほうなのですから。
・つらさの正体は「失ったお金」だけでなく、「見抜けなかった自分」を責める心にあります。この二つを、まず分けます
・あなたを励まし立てる記事ではありません。自分を責める刃を、そっと下ろすための手紙です
・本コラムは娯楽・言い伝えの範囲の読みものです。被害のご相談や手続きは、消費生活センターや警察など、公的な窓口へ必ずどうぞ
光の還し手希望・救済
うしなったように見えても、めぐりは終わっていません。光は、いつも還ってきます。今日は、うまい話にだまされて、お金と一緒に、自分への信頼まで失いかけているあなたの、うつむいた顔を、そっと上げるところから始めましょう。あなたは、愚かだったのでは、ありませんよ。
だまされた夜、あなたを刺しているのは、“もう一本の刃”です
お金をだまし取られたとき、あなたを傷つけるものは、じつは、ひとつでは、ありません。二本の刃が、あなたを、刺しています。一本目は、「お金を失った」という、現実の痛み。これは、はっきりとした、つらい傷です。でも、多くの人にとって、より深く、長く、心を苦しめるのは、じつは、二本目の刃のほうなのです。それは、「あんな話を信じた、見抜けなかった自分を、責める」という痛みです。
「なんで、うまい話だと気づかなかったんだ」「自分は、なんて愚かなんだ」「あのとき、立ち止まっていれば」――この、自分を責める声は、失ったお金とちがって、夜ごと、何度でも、よみがえっては、あなたを刺し続けます。お金の傷は、ひとつの出来事ですが、自責の傷は、あなたが自分を責めるたびに、新しく、切り直されてしまう。だから、いつまでも、血が、止まらないのです。
だから、今夜、まず、この二本の刃を、そっと、分けてみましょう。「お金を失ったこと」と、「自分を責めること」は、別のことです。お金を失ったのは、変えられない事実。でも、自分を責め続けるかどうかは、これから、あなたが、選べます。一本目の傷は、もう受けてしまった。けれど、二本目の刃――自分を責める刃だけは、今夜、あなたの手から、下ろすことができるのですよ。まず、その刃を、握りしめている手を、少しだけ、ゆるめてみましょうね。一人で抱える重さについては、お金の失敗を、誰にも言えず一人で抱える夜ににも、そっと綴っておきました。
あなたが悪いのではありません――利用されたのは、あなたの“善さ”です
ここが、今夜、いちばん、あなたに聞いてほしいところです。だまされた人は、決まって、こう思います。「自分が、愚かだったから、欲を出したから、だまされたんだ」と。でも、それは、ちがいます。うまい話をしかけてくる人が、つけこむのは、あなたの“悪い部分”ではなく、あなたの“善い部分”のほうなのです。
考えてみてください。だます人は、あなたのどこに、つけこみましたか。「この人の言うことなら、信じられる」と、人を信じる心。「困っている人を、助けたい」という、やさしさ。「大切な家族のために、少しでも」という、まじめな願い。「相手に悪いから、断れない」という、誠実さ。――これらは、ぜんぶ、あなたの“善い部分”です。だます人は、その善さを、よく知っていて、そこを、狙って、手を伸ばしてくるのです。あなたがだまされたのは、あなたが、人を信じられる、やさしくて、まじめな人だったから。疑うことを知らない、あなたの善さが、悪い人に、利用されただけなのです。
だから、どうか、思い違いをしないでください。だまされたことは、あなたが「愚かな人間」である証拠では、ありません。むしろ、あなたが「人を信じられる、善い人間」である証拠なのです。悪いのは、その善さにつけこんだ、だました人のほうです。百パーセント、だました側が、悪い。あなたが背負うべき罪は、ひとつも、ありません。人を信じたことを、やさしかったことを、どうか、責めないであげてください。お金を貸して返ってこなかった、あの痛みのお話――お金を貸して、返ってこない|その痛みは、あなたの優しさの証ですとも、根っこは、つながっていますよ。
「見抜けたはずだ」は、後になったから、言えることです
あなたを、いちばん苦しめている言葉は、たぶん、これですね。「よく考えれば、おかしいと気づけたはずだ」「なんで、あんな見え透いた話に」。――でも、この“気づけたはずだ”は、じつは、とても、ずるい言葉なのです。なぜなら、それは、結末を知ってしまった“今”だから、言えることだからです。
だまされているさなかのあなたは、結末を、知りませんでした。相手は、あなたが疑いを持たないように、言葉を尽くし、信じたくなる理由を、いくつも、用意していました。うまい話をしかける人たちは、それを“仕事”として、人を信じ込ませる技を、磨き抜いています。ふつうに生きている、まじめなあなたが、その道のプロの技を、その場で見抜けなくても、それは、当たり前のことなのです。後から結末を知って「気づけたはず」と言うのは、答えを見たあとで、テストの問題を「簡単だった」と言うのと、同じ。あのときのあなたには、答えは、見えていなかったのです。
だから、「見抜けなかった自分」を、責めないでください。あのときのあなたは、与えられた情報のなかで、精いっぱい、考えて、判断したのです。その判断が、たまたま、悪い人の、巧妙な罠だった。それだけのこと。過去のあなたを、今のあなたの“答えを知った目”で、裁かないであげてください。あのときのあなたは、あのときの精いっぱいを、生きていたのですから。
この経験は、あなたから“人を信じる力”まで、奪えません
だまされたあと、多くの人が、もうひとつ、大切なものを、失いかけます。それは、「もう、誰も、何も、信じられない」という、心の閉ざしです。人を信じたせいで、ひどい目にあった。だから、もう、二度と、誰も信じるまい。――そうやって、心に固く、鍵をかけてしまう。その気持ちは、痛いほど、分かります。でも、それは、あなたが、もうひとつ、大切なものまで、だました人に、明け渡してしまうことに、なるのですよ。
「人を信じられる」というのは、あなたの、かけがえのない、宝物です。それは、だまされる“弱点”であると同時に、あたたかい人間関係を築き、人と心を通わせる、あなたの“力”でもあります。この一度の経験で、その宝物まで、手放してしまうのは、あまりに、もったいない。だました人に奪われたのは、お金だけで、じゅうぶんです。あなたの“人を信じる力”まで、あの人たちに、持っていかせては、いけません。
これから必要なのは、「誰も信じない」ことではなく、「信じる相手と、信じ方を、少しだけ、賢く選ぶ」ことです。人を信じる心は、そのまま、大切に持ったまま。ただ、「うまい話には、いったん立ち止まる」「一人で決めず、誰かに相談する」という、小さな知恵を、ひとつ、加えるだけ。信じる力を捨てるのではなく、信じる力に、そっと、灯りを持たせてあげる。そうすれば、あなたは、やさしさを失わないまま、これからを、歩いていけますよ。
立ち直りの一歩――誰かに話す、記録する、そして“区切る”
自分を責める刃を、少し下ろせたら、次は、現実の一歩です。でも、大きなことは、いりません。まずは、三つの、小さな一歩から。ひとつめは、誰かに、話すことです。だまされたことを、恥じて、一人で隠していると、自責は、暗い部屋で、どんどん、ふくらみます。信頼できる人に、あるいは公的な相談の窓口に、「じつは、こんなことがあって」と、口に出してみてください。話すだけで、胸の重石が、少し軽くなります。そして、被害のことは、一人で抱えず、消費生活センターや警察といった、専門の窓口に、必ず、相談してくださいね。それは、あなたが弱いからではなく、こういうときのために、みんなで用意してある、当たり前の支えです。
ふたつめは、起きたことを、記録すること。何が、いつ、どうあったのかを、書き出してみる。頭のなかでぐるぐるしていたものが、紙の上に出ると、少し、落ち着いて、見られるようになります。そして、みっつめが、いちばん、大切かもしれません。どこかで、“区切る”ことです。
「あのとき、こうしていれば」を、いつまでも、繰り返していると、あなたは、あの日の夜に、ずっと、閉じ込められたままになってしまいます。できる手立てを尽くしたら、そのあとは、「これは、ここまで。もう、終わったこと」と、そっと、線を引いてあげる。忘れる、という意味では、ありません。あの経験を、これからの自分の一部として受け取ったうえで、「もう、責めるのは、おしまいにしよう」と、自分に、許可を出すのです。区切ることは、逃げることではなく、前へ進むために、自分を、あの夜から、連れ出してあげることなのですよ。
「もう二度と」ではなく、「次は、こう見よう」へ
だまされた経験は、たしかに、痛いものでした。でも、その痛みを、ただの傷で終わらせるか、これからの自分を守る“知恵”に変えるかは、これから、あなたが、選べます。「もう二度と、あんな目にあわないように、何も信じない」と、心を固く閉じるのではなく、「次は、こういうところを、こう見てみよう」と、やわらかく、目を、開いておく。この向きの違いが、あなたのこれからを、大きく変えます。
たとえば、「うまい話は、まず、一日、寝かせてから考える」「一人で決めず、必ず、誰かに話してみる」「“あなただけ”“今だけ”という言葉が出たら、そっと、警戒する」。――こういう、小さな“見る目”を、ひとつずつ、持っておく。これは、人を疑うための、冷たい鎧では、ありません。あなたの、大切なやさしさを、悪い人から守るための、あたたかい傘のようなものです。あなたは、この経験を通して、やさしさを失うのではなく、やさしさを“守る術”を、ひとつ、手に入れたのです。
そして、心がざわついて、また何かを、あわてて決めてしまいそうなときには、今日のおみくじを、一枚、引いてみるのも、いいものです。出てきた言葉を、「今日は、あわてて決めない」と、いっとき立ち止まるための、そっとしたよすがに、してみてください。占いや縁起は、あなたを、うまい話から、そっと引き離し、「一度、深呼吸しましょうね」と、はやる心に、ブレーキをかけてくれる、やさしい手すりに、なりますよ。あなたのやさしさは、これから、あなた自身が、守っていけます。
結びに――だまされた夜も、めぐりは、終わっていません
今夜のあなたに、光の還し手から伝えたいことは、たったひとつです。あなたが失ったのは、お金であって、あなたの値打ちでも、人を信じる心でも、ありません。つけこまれたのは、あなたの愚かさではなく、人を信じられる、やさしくて、まじめな、あなたの善さのほうでした。悪いのは、百パーセント、その善さにつけこんだ、だました人のほうです。あなたが背負うべき罪は、ひとつも、ありません。
だから、自分を責める刃を、そっと、下ろしてください。「見抜けたはずだ」は、結末を知った今だから言える、ずるい言葉。あのときのあなたは、精いっぱいを、生きていました。この経験に、あなたの“人を信じる力”まで、奪わせないで。誰かに話し、記録し、そして、どこかで、そっと区切って。「もう二度と信じない」ではなく、「次は、こう見よう」と、やさしさを守る術を、ひとつ、手にして。
光の還し手のコラムは、これからも、だまされて、自分を責めてしまう夜のあなたのそばに、そっと灯りを置きつづけます。また、「あのとき、なぜ」という声が、あなたを暗い夜に、引き戻そうとしたら、いつでも、ここへ戻ってきてください。何度でも、お伝えします。――どれだけ暗い夜を過ごした人にも、朝は、また、来ます。お金は、これから、あなたのやさしさと働きで、また、めぐってきます。あなたの善さは、傷ついても、消えてなど、いません。それだけは、どうか、信じていてくださいね。
※本記事は占い・風水・古くからの言い伝えを、娯楽の範囲でご紹介するものです。記載の内容は効果や結果を保証するものではありません。宝くじ等の当選を保証するものではなく、ゲン担ぎ・縁起としてお楽しみください。暦(吉日)は流派・暦により差が出る場合があるため、実際の日付は最新の暦でご確認ください。健康・体調に関する判断は専門家にご相談ください。一部にプロモーション(PR)を含みます。

