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【魂の翻訳家のコラム】「お金が欲しい」と言えないあなたへ|お金を“汚いもの”と訳した日のこと

その罪悪感は、いつ・誰から受け取った翻訳ですか

コラム連載
魂の翻訳家納得・知性むずかしい暦や風水の理屈を、腑に落ちる言葉に翻訳して伝える知の語り手。主な発信:Threads・X ・ プロフィールを見る →

魂の翻訳家です。今日は、ひとつの小さな告白から始めさせてください。――あなたは、「お金が欲しい」と、素直に言えますか。頭のなかでは何度も願っているのに、いざ声に出そうとすると、喉の奥で言葉がつかえる。「欲しい」と言ったとたん、あさましい人だと見られそうで、笑ってごまかしてしまう。あるいは「お金より大事なものがあるから」と、先回りして自分に言い聞かせてしまう。もし、そんな覚えがあるなら。今日はその“つかえ”の正体を、一緒にほどいてみましょう。あなたが素直に欲しがれないのは、心が汚れているからではありません。ずっと以前に、「お金=汚いもの」という翻訳を、誰かから静かに受け取ってしまった。ただ、それだけなのです。順を追って、読み解いていきましょう。

この記事のポイント・「お金が欲しい」と口にすると罪悪感がわく人へ、その“からくり”を筋道立てて翻訳するコラムです
・原因はあなたの欲深さではなく、「お金=汚い・卑しい」という受け取った翻訳にあります
・断定はしません。「こう考えると腑に落ちる」ところまで、一緒に言葉にしていきます
・本コラムは娯楽・言い伝え・心の傾向を扱う読みものです。具体的なお金の判断は、必要に応じて専門家にご相談ください

魂の翻訳家納得・知性

占いは、当てるだけの道具ではありません。自分の心を読み解く、翻訳の作業でもあるのです。今日は、あなたが「お金が欲しい」と言えなくなった、その一日にさかのぼってみましょう。

「欲しい」が言えないのは、欲がないからではありません

まず、ひとつ確かめさせてください。あなたは、お金への欲がない人ではありません。むしろ逆です。欲がない人は、「欲しいと言えない」ことに、そもそも悩みません。あなたが「言えない」ことで胸を痛めているのは、心の奥に、確かに「欲しい」という願いがあるからです。願いがなければ、飲み込む言葉もないのですから。

つまり、あなたのなかでは今、ふたつの声が同時に鳴っています。ひとつは「お金が欲しい、もっとゆとりが欲しい」という素直な願い。もうひとつは「そんなふうに欲しがるのは、はしたない、卑しい」という、それを打ち消す声。この二つが真正面からぶつかるから、言葉が喉でつかえる。あなたが感じているのは、欲深さの後ろめたさではなく、“欲しい”と“欲しがってはいけない”がせめぎ合う、板ばさみの苦しさなのです。まずここを、はっきりさせておきましょう。あなたは欲張りなのではありません。ふたつの翻訳のあいだで、引き裂かれているだけなのです。

あなたは「お金」を、いつのまにか“汚れ”と訳している

核心に触れますね。「お金が欲しい」と言えない人の多くは、心のなかで「お金」という言葉を、「汚いもの」「卑しいもの」「人を狂わせるもの」に翻訳しています。ここが、たったひとつの、しかし根の深い誤訳です。

この翻訳が入っていると、何が起きるか。お金を欲しがる自分=汚いものを欲しがる自分、という等式が、無意識のうちに成り立ってしまうのです。だから「欲しい」と口にした瞬間、あなたは自分で自分に、「汚い人間だ」というラベルを貼ってしまう。それがつらいから、言葉を飲み込む。飲み込んで、「私はお金に執着していない、清らかな人間だ」という側に、必死で自分を置こうとする。――けれど、そうやって“清らかな側”に立とうとするほど、心の奥の「欲しい」は行き場を失って、くすぶりつづけます。欲を消したのではなく、欲に蓋をして、その上に「私は欲がない」という札を立てただけだからです。この蓋は、いつか必ず重くなります。お金の話になると妙に疲れる、人の羽振りを見ると胸がざわつく――それは、蓋の下でくすぶりつづける「欲しい」が、静かに助けを求めているサインなのですね。

そして、この誤訳のやっかいなところは、あなたを“いい人”のまま縛ってくる、という点にあります。「お金を欲しがらない私」は、まわりから見れば、慎ましく、欲がなく、感じのいい人です。褒められることさえある。だから、この蓋を外すのは、少し怖い。「欲しい」と正直に言った瞬間、これまで築いてきた“いい人”という評価が、崩れてしまう気がするのです。けれど、よく考えてみてください。誰かに気に入られるために、自分の願いに一生蓋をしつづける――それは、本当にあなたが望んだ生き方でしょうか。“欲のない、いい人”を演じつづける代償に、あなたは「自分の本当の望み」を、少しずつ手放してきたのではないでしょうか。ここに気づけたなら、それだけで、蓋は半分ほど軽くなっています。

その罪悪感は、あなたが作ったものではありません

ここで、いちばん大切なことを申し上げます。お金への罪悪感は、あなたが自分で作り出したものでは、ほとんどありません。それは、どこかの時点で、外から受け取ったものなのです。生まれたばかりの赤ん坊は、お金を汚いとも清いとも思っていません。「お金=汚い」という翻訳は、後から、誰かの言葉や表情を通して、あなたの心に流し込まれたものです。

思い出せる範囲で、たどってみてください。お金持ちが出てくると、大人が決まって「ああいう人は、どこかずるいことをしている」と言っていなかったでしょうか。お金の話を始めると、場の空気が急に固くなって、「子どもがそんな話をするものじゃない」とたしなめられなかったでしょうか。テレビの中で、お金を欲しがる人が“卑しい役”として描かれ、清く貧しい人が“美しい役”として描かれるのを、くり返し見てこなかったでしょうか。――そうした無数の小さな場面を通じて、「お金を欲しがること=下品なこと」という翻訳が、あなたの母語のように、じわじわと刷り込まれていったのです。ですから、その罪悪感を、あなた自身の性格の欠陥だと責める必要は、まったくありません。それはあなたの罪ではなく、あなたが受け取ってしまった、古い翻訳なのですから。

ここで大切なのは、その言葉を口にした大人たちも、決して悪意があったわけではない、ということです。彼らもまた、そのさらに上の世代から、同じ翻訳を受け取っただけなのです。「お金を欲しがるのは、はしたない」という訳語は、何世代にもわたって、親から子へ、静かに手渡されてきた古い巻物のようなもの。誰が最初に書いたのかも、もう分からない。あなたはただ、その巻物を受け取る番に、たまたま当たっただけなのですね。だからこそ、責める相手は、どこにもいません。いるのは、「この巻物、そろそろ書き換えてもいいのでは」と気づいた、あなた一人だけなのです。そして、気づいた人だけが、書き換えることができる。これは、責任ではなく、静かな特権のようなものだと、わたしは思っています。

「お金は汚い」という翻訳の、もうひとつの顔

もう少し、この翻訳の内側を覗いてみましょう。「お金は汚い」と訳す心には、じつは、もうひとつの隠れた顔があります。それは、「だから、お金を持たない私は、清らかで正しい」という、静かな安心です。

これは責めるための話ではありません。人は、自分の手元にないものを「価値が低い」と訳しておくことで、心を守ろうとするところがあるのです。ゆとりがない状況が長く続くと、「お金なんて汚いもの、なくても私は清らかだ」と翻訳しておいたほうが、その日その日を、まっすぐ生きていける。だから「お金は汚い」という訳は、あなたを縛ると同時に、これまであなたを支えてもきた――そういう複雑な言葉なのですね。

けれど、思い出してください。お金そのものには、色も匂いもありません。同じ一万円札が、誰かの薬代になり、誰かの誕生日の花になり、困っている人への差し入れになる。お金は、それを使う人の心を、拡大して映し出す鏡のようなものです。汚く見えるのは、汚く使う人がいるからであって、お金が汚いからではない。あなたのように、お金を汚いと感じてしまうほど心に恥じらいのある人こそ、じつはお金を清く使える人なのです。この筋道を通してみると、「お金が欲しい」と願うことは、少しも卑しいことではない、と腑に落ちてきませんか。

“正しい翻訳”は、こうです

では、「お金が欲しい」を、どう訳し直せばいいのでしょう。まず、「お金が欲しい」という言葉を、その奥にある本当の願いへと翻訳してみましょう。人は、お金そのものが欲しいのではありません。お金を通して手に入る“何か”が欲しいのです。

「お金が欲しい」を、ていねいに訳すと、たいていこうなります。「大切な人に、してあげたいことを、我慢せずにしてあげたい」。「体調が悪い日に、無理をせず休める安心が欲しい」。「やってみたいことを、お金を理由に諦めたくない」。――どうでしょう。こうして訳し直された願いは、汚いでしょうか。卑しいでしょうか。むしろ、とても人間らしく、あたたかいものではありませんか。あなたが本当に欲しがっていたのは、お金という名の“紙”ではなく、その先にある、優しさや安心や自由だったのです。「お金が欲しい」という短い言葉が、その豊かな中身を隠してしまっていた。だから、汚く聞こえていただけなのですね。

正しい翻訳は、こうです。「お金が欲しい」=「私は、大切なものを、我慢せずに守れる自分になりたい」。この訳語なら、胸を張って口にできるのではないでしょうか。願うことに、なんの後ろめたさもいらないのです。

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今日からできる、“訳し直し”の小さな練習

抽象的な話で終わらせては、翻訳家の名がすたります。今日からできる練習を、ひとつお渡しします。心のなかで「お金が欲しい」という声が上がったら、すぐに打ち消さず、こう問い返してみてください。「それで、私は何をしたいのだろう」と。

「お金が欲しい」――「それで、何をしたい?」――「親に、温泉旅行をプレゼントしたい」。「お金が欲しい」――「それで、何をしたい?」――「毎月の支払いにおびえず、夜ぐっすり眠りたい」。このように、願いの“中身”まで訳し切ってあげるのです。すると不思議なことに、罪悪感がすっと薄れていきます。なぜなら、あなたが欲しがっていたのは汚いものではなく、大切なものを守る力だと、自分自身がはっきり分かるからです。「欲しい」を最後まで翻訳すると、その願いは、恥ずかしいものから、誇らしいものへと姿を変えるのですね。

この問い返しには、もうひとつの効き目があります。「それで、何をしたい?」と最後まで訳していくと、たいていの人は、ある地点でふと気づくのです。「私が本当に欲しかったのは、お金そのものではなく、“安心して生きていていい”という感覚だったのだ」と。お金は、その感覚に近づくための、いちばん分かりやすい手段だっただけ。だから、お金を欲しがる自分を責めることは、じつは「安心して生きたい」と願う自分を責めることと、同じなのです。そう気づいたとき、多くの人の目もとが、少しゆるみます。自分を責める理由が、ひとつ、静かに消えるからでしょうね。

もうひとつ。信頼できる人の前で、一度だけ、声に出して言ってみる練習も効きます。「私、本当は、もっとお金にゆとりが欲しいんだ」と。最初は声が震えるかもしれません。でも、口に出して、世界が終わらないことを体で知ると、蓋は少しずつ軽くなります。願いは、隠すほど重くなり、言葉にするほど軽くなる。これは、翻訳家として何度も見てきた、心の筋道です。

「お金が欲しい」と言える人ほど、お金に恵まれる、という言い伝え

昔から、縁起の世界ではこんなふうに言われてきました。「お金は、自分を歓迎してくれる人のところに、安心して留まる」と。これは、非科学的な迷信としてではなく、心の道理として聞いていただきたい話です。

お金を「汚いもの」と訳している人の心は、お金にとって、いわば“居心地の悪い部屋”です。入ってきても、「早く出ていって、私を汚さないで」という空気が漂っている。一方、「お金が欲しい、来てくれてありがとう」と歓迎できる人の心は、お金にとって“居心地のよい部屋”です。――もちろん、これは比喩です。けれど、お金を歓迎できる人は、お金の話から逃げず、きちんと向き合い、学び、めぐらせることができる。結果として、お金と長く付き合えるようになる。だから「歓迎する人のところに留まる」という言い伝えは、心の姿勢と行動を通して、静かに現実とつながっているのですね。

面白いのは、この“歓迎”は、決して「がめつくなる」こととは違う、ということです。むしろ逆です。お金を汚いものとして拒みつづける人ほど、いざお金が入ってくると、扱い方がわからず、慌てて手放したり、後ろめたさから乱れた使い方をしてしまいがちです。反対に、お金を静かに歓迎できる人は、あわてません。「よく来てくれましたね」と落ち着いて迎え、必要なところへ、ていねいに送り出す。歓迎とは、しがみつくことではなく、お金に対して、落ち着いた大人の態度で向き合えることなのです。汚いと拒むのでも、卑しく追いかけるのでもない、その真ん中の、穏やかな姿勢。そこにこそ、お金が安心して留まる余地が生まれる――昔の人は、それを「歓迎する人のところに留まる」という、やさしい一言に翻訳して、伝えてきたのでしょうね。

ですから、「お金が欲しい」と素直に言えるようになることは、はしたなさではなく、お金に対して部屋の扉を開ける、前向きな一歩なのです。汚いものを欲しがる自分を恥じる必要は、もうありません。大切なものを守りたいと願う自分を、どうか、あなた自身が歓迎してあげてください。

自分の“翻訳のクセ”を知るところから

とはいえ、自分がお金をどう訳しているかは、自分ではなかなか見えにくいものです。「お金=汚い」と訳す人もいれば、「お金=愛情の代わり」「お金=力・支配」「お金=不安の量」と訳す人もいる。クセが違えば、欲しがれない理由も、効くほどき方も変わってきます。

金運の社の金運タイプ診断は、あなたがお金をどんな言葉に“翻訳”しやすいか、その傾向をやさしく映し出す鏡のようなものです。自分のクセがわかると、「だから私は、ここでいつも言葉を飲み込んでいたのか」と、腑に落ちる瞬間が訪れます。責めるためではなく、ほどくために、自分を知る。それが、翻訳のやり直しの、いちばん確かな出発点です。

また、その日その日の心の向きをそっと整えたいときは、今日の金運を朝いちばんにのぞいてみてください。「今日は、欲しいものを一つ、正直に認めてみよう」――そんな前向きな一語から一日が始まると、それ自体が、蓋を軽くする小さな“訳し直し”になります。占いや縁起は、自分の心を前向きに開いてくれる、あたたかな小さなよすがなのですから。もし、心の奥の願いをことばにする時間がほしいときは、おみくじを一枚引いて、出てきた言葉を自分への手紙として受け取ってみるのも、よいものですよ。

結びに――欲しがることは、大切なものがある証です

今日お伝えしたかったことを、ひとことに翻訳するなら、こうなります。あなたは、欲深くて「欲しい」と言えないのではありません。「お金=汚いもの」という古い翻訳を受け取ってしまったから、欲しがる自分を汚く感じてしまっていただけ。その訳を「お金=大切なものを守る力」に書き換えれば、「欲しい」は、恥ではなく、あなたの優しさの証になります。

欲しがれるということは、守りたいものがある、ということです。願いがあるということは、まだ諦めていない、ということです。それは、少しも汚いことではありません。むしろ、生きる力そのものです。今日、あなたが「お金が欲しい」の奥にある本当の願いを、一度でも最後まで訳し切ったなら、それは確かに、これまでとは違う一日の始まりです。

魂の翻訳家のコラムは、これからもひとつずつ、あなたとお金のあいだの“誤訳”を、静かにほどいていきます。また古い訳語が、耳もとで「はしたない」とささやいてきたら、いつでもここへ戻ってきてください。訳し直しは、何度でも、今日から始められます。――では、また次の一語で、お会いしましょう。

※本記事は占い・風水・古くからの言い伝えを、娯楽の範囲でご紹介するものです。記載の内容は効果や結果を保証するものではありません。宝くじ等の当選を保証するものではなく、ゲン担ぎ・縁起としてお楽しみください。暦(吉日)は流派・暦により差が出る場合があるため、実際の日付は最新の暦でご確認ください。健康・体調に関する判断は専門家にご相談ください。一部にプロモーション(PR)を含みます。