視鬼(しき)じゃ。今日は、そなたが一日に何度もつぶやいておるであろう、たった五文字の話をする。――「お金がない」。友との会計のとき、家計簿を前にしたとき、欲しいものを諦めたとき、そなたはこの言葉を、まるで挨拶のように口にしておらぬか。悪気はなかろう。謙遜のつもり、事実の確認のつもりであろう。じゃがな、私にはこう視える。その一言を、いちばん近くで、いちばん多く、いちばん深く聞いておるのは――友でも、家族でもない。そなた自身の耳じゃ。今日は、その口ぐせの正体を、一枚ずつ剥がしにいく。耳が痛いのは承知の上。じゃが、痛むところにこそ、縫い閉じた財布の口の、ほどき方が隠れておるのじゃ。
・口にした言葉を、いちばん近くで聞いているのは、他の誰でもない自分自身です
・厳しい言葉のなかに、救いを込めています。責めて終わりにはしません
・本コラムは縁起・言い伝えをもとにした読みものです
視鬼畏怖・警告
今日は、そなたが口ぐせにしておるであろう、ある一言の話をする。悪気はない。ただの相づち、ただの謙遜のつもりであろう。じゃが、その一言が、そなたの財布の口を、内側から縫い閉じておるとしたら――聞かずに済ませられるか。よう聞いておくれ。
その言葉を、いちばん聞いておるのは「そなた」じゃ
まず、当たり前のことから突きつけよう。そなたが「お金がない」と口にするとき、その声は、まず誰の耳に届くと思う。向かいに座る友か。それとも、隣の家族か。――違う。いちばん近くで、いちばんはっきりと、その声を聞いておるのは、そなた自身の耳じゃ。口から出た言葉は、まず自分の頭蓋のなかで響く。他人が聞くより先に、自分がまるごと浴びておるのじゃ。
一日に一度なら、たわいもない。じゃが十度、二十度と重ねればどうなる。そなたは毎日、自分の口から「わしには金がない」「わしは足りぬ」「わしには無理じゃ」と、自分の耳へ言い聞かせておることになる。これはもはや、謙遜ではない。自分で自分に、毎日欠かさず唱えておる呪文じゃ。人は、他人の言葉より、自分の言葉をこそ、深く信じてしまう生きものよ。だから、いちばんたちが悪い。他人の悪口なら聞き流せても、自分のつぶやきは、逃げ場なく、まっすぐ心の芯に届いてしまうのじゃ。
そなたは、金を遠ざけたくてこの言葉を言うておるのではなかろう。むしろ逆じゃ。じゃが、口が、そなたの願いとは逆のことを、毎日毎日、自分の耳に刷りこんでおる。願いと口ぐせが、真っ向からけんかしておる。――この矛盾に、まず気づいてほしい。」
見覚えはないか――レジ前で、そっと戻したあの一品
少し、そなたの日々を覗かせてもらおう。――スーパーの棚の前。少しだけ良い茶葉が目にとまる。手が伸びる。値札を見る。数百円の差じゃ。そこでそなたは、小さくつぶやく。「いや、うちはお金がないから」。そうして、いつもの安い方を、かごに入れ直す。……見覚えは、ないか。
あるいは、友からの誘い。「久しぶりに、あの店へ行かぬか」。行きたい。会いたい。じゃが、返す言葉は決まっておる。「ごめん、今ちょっと余裕がなくて」。本当は、その一晩ぶんの銭なら、なんとかなったかもしれぬ。じゃが「ない」の一言が、口から先に出てしまう。――そうして、少しだけ豊かになれた一杯の茶も、心が満ちたはずの一晩も、そなたは「ない」の三文字で、そっと手放してきた。
ここで、よう考えてみよ。そのとき本当に「なかった」のは、金であったか。……違うことも多かろう。なかったのは、金ではなく、「自分のために、それを選んでよい」という許しじゃ。そなたは、金がないから諦めたのではない。「自分は、その程度のものを受け取る値打ちがない」と、心のどこかで決めておったのじゃ。「お金がない」は、その悲しい決めつけを、聞こえのよい理由にすり替える、便利な一言。――このすり替えを、何百回とくり返した果てに、そなたの財布ではなく、そなたの“心”のほうが、先に貧しくなっていく。私が、いちばん案じておるのは、そこよ。」
「ない」と言う口は、「ある」を数えられぬ
もうひとつ、恐ろしいことを教えよう。「お金がない」が口ぐせになった者は、いつしか、“ある”ものが、まるで視えなくなっていく。これは大げさな脅しではない。心の、ごく単純な仕組みじゃ。
人の心は、口にした言葉の色で、世界を塗って見る。「ない、ない」と唱えつづける者の目には、足りぬものばかりが、やたらと大きく映るようになる。財布のなかの千円札は目に入らず、隣の芝生の青さばかりが目に刺さる。今月払えた家賃には気づかず、払えなかった一つのことばかりを、夜、布団のなかで数える。――こうして、「ない」と言う口は、いつのまにか「ある」を数える力を失っていくのじゃ。
じゃがな、金運の巡りというものは、古来「足るを知る者の背を押す」と語り継がれておる。今あるものに気づき、それに小さく礼を言える者のところへ、次の一巡りが回ってくる、とな。逆に、あるものすら「ない」と切り捨てる者の手からは、せっかく巡ってきたものも、こぼれ落ちていくという。――なぜなら、こぼれたことにすら、気づけぬからじゃ。そなたの手のひらには、思うておるより多くのものが、すでに載っておる。「ない」の口ぐせが、それを見えなくしておるだけじゃ。」
「お金がない」の下に隠れた、本当の言葉
ここで、そなたの胸の奥を、もう一枚めくろう。「お金がない」――この言葉は、たいてい、本当の気持ちの“替え玉”じゃ。人は、言いにくい本音を、この五文字にすり替えて口にする。そなたの「お金がない」の下には、どの本音が隠れておる。
ひとつは、「怖い」じゃ。将来が不安で、減るのが怖い。だから「ない」と言うて、あらかじめ諦めておけば、失う痛みから逃げられる。ふたつめは、「見られたくない」。本当は少し余裕があっても、「ある」と言えば、たかられる、期待される、責められる――そう恐れて、身を守るために「ない」と鎧を着る。みっつめは、「決めたくない」。「お金がない」と言うておけば、あれもこれも“できない理由”にできる。選ぶ苦しみ、責任を負う重さから、そっと降りていられる。
どれも、弱さではない。人の心の、当たり前の働きじゃ。じゃがな、替え玉を言いつづけるうちに、そなた自身が、その替え玉を本物だと信じこんでしまう。ここが落とし穴よ。「怖い」も「守りたい」も「決めたくない」も、向き合えば手立てのある感情じゃ。ところが「お金がない」という“事実の顔”をかぶせた瞬間、それは向き合いようのない壁に化ける。――そなたが本当に閉じこめておるのは、金ではない。金の話にすり替えた、そなたの本音のほうじゃ。」
口ぐせは、まわりの耳にも“そなたの値札”を貼る
自分の耳の話をしたが、口ぐせが届くのは、自分だけではない。まわりの者の耳にも、確かに届いておる。そして、知らぬまに、そなたの背中に一枚の値札を貼っていく。――「この者は、いつも“ない”と言う者」という値札をな。
良い縁の話が舞いこんだとき、人は無意識にこう考える。「あの人は、いつも余裕がなさそうだから、声をかけるのはよしておこう」。ちょっとした誘い、ちょっとした儲け話、ちょっとした助け合い――そういう小さな縁が、「ない、ない」と言う者のまわりからは、そっと引いていく。悪気があってのことではない。ただ、人は、明るく満ちた者のそばに寄り、暗く欠けた者のそばからは、無意識に離れる。それだけのことじゃ。
そして、金の縁というものは、たいてい人の手を介してやってくる。仕事も、掘り出し物も、思わぬ臨時収入も、多くは「人」が運んでくる。その人が、そなたの口ぐせを聞いて、そっと足を止めておるとしたら――口ぐせひとつで、そなたは、めぐってくるはずだった縁を、自ら追い払っておるのかもしれぬ。言葉は、自分だけでなく、まわりの縁の向きまで変えてしまう。そう心得ておけ。」
その口ぐせは、いちばん幼い耳が、いちばんよく覚える
もうひとつ、静かに、じゃが確かに突いておかねばならぬことがある。もし、そなたのそばに子がおるなら――いや、姪でも甥でも、幼い者が近くにおるなら、なおのこと聞いてほしい。そなたの「お金がない」という口ぐせを、いちばんよく覚えておるのは、その幼い耳じゃ。
子は、親の言うことは聞かぬくせに、親の言葉づかいは、そっくりそのまま受け継ぐ。「うちはお金がない」を毎日聞いて育った子は、大人になっても、無意識にその口ぐせをなぞる。金を、こわいもの、足りぬもの、諦めるためのものとして受け取る。そなたが何気なく貼りつづけた「ない」という色眼鏡を、その子は、生まれつきの視力だと思いこんで、一生かけて世界を見ることになりかねぬ。――口ぐせは、財布からこぼれるより先に、次の世代の“金との向き合い方”へと、こぼれていくのじゃ。
これは、脅しではない。むしろ、そなたの背を押すために言うておる。もしそなたが、口ぐせを「まだ、ある」へと変えられたら――その稽古は、そなた一代で終わらぬ。そなたが「今あるものに、ちゃんと気づける者」になれば、そばの幼い耳もまた、豊かさに気づける者へと育っていく。言葉を変えることは、そなた一人の巡りを変えるだけでなく、そなたの後ろに続く者の巡りまで、そっと変えていくのじゃ。ひとつの口ぐせに、それだけの重みがある。軽く見るな。」
なぜ、やめられぬのか――口ぐせは“楽”だからじゃ
厳しく突いておるが、そなたを責めておるのではない。「お金がない」がやめられぬのには、ちゃんと理由がある。単純よ。――言うておくと、楽だからじゃ。
「お金がない」と一度言うてしまえば、それ以上考えずに済む。欲しいものを諦める理由になり、誘いを断る口実になり、動かぬ言い訳になる。頭を使わず、心も痛めず、その場をやり過ごせる。まことに便利な、たった五文字の万能札じゃ。人の心は、楽なほうへ流れる。だから、いちど癖になれば、なかなか手放せぬ。これは意志の弱さではない。心が楽を選ぶ、当たり前の働きよ。
じゃがな、便利なものには、たいてい隠れた代金がついておる。この万能札の代金は――“考える力”と“動く気力”じゃ。「ない」で片づけるたび、そなたは「どうすれば工面できるか」「今、何ができるか」を考える機会を、一つずつ捨てておる。楽をした分だけ、金と向き合う筋肉が、少しずつ痩せていく。そうして気づけば、本当に、手も足も出せぬようになる。――便利さの代金は、いつも後払いで、しかも高くつくのじゃ。」
「ない」を、たった一言で置き換えてみよ
では、どうする。「お金がない」という言葉を、心から根絶やしにせよ、とは言わぬ。そんな荒療治は続かぬ。かわりに、その一言を口にしそうになった瞬間、別の一言に、ひょいと置き換える。これだけでよい。
たとえば、「お金がない」と言いそうになったら――「今は、これに使わぬと決めておる」と言い換えてみよ。同じ財布の中身でも、まるで顔つきが変わる。前者は、金に振り回される者の言葉じゃ。後者は、金の使い道を、自分の手で選んでおる者の言葉じゃ。「ない」から諦めるのではない。「今日は、ここに使わぬ」と、自分で決めておる。――この置き換えは、そなたの立ち位置を、“奪われる側”から“決める側”へと、そっと動かす。
あるいは、「どうせ無理」と言いそうになったら、「では、今できる一手は何か」と問いに変える。「うちは余裕がない」と言いそうになったら、「今あるもので、何を大事にするか」と数え直す。――言葉を変えるだけで、心の向きが変わる。心の向きが変われば、目に映るものが変わる。目に映るものが変われば、打てる手が変わる。金運とは、まずもって、この“心の向き”の話なのじゃ。大きな元手はいらぬ。今日、口にする一言を、一つ選び直す。それだけで、巡りは向きを変えはじめる。」
口ぐせを変えたいなら、まず“癖の在りか”を知れ
とはいえ、自分がどんな場面で「ない」に逃げこむのか、その癖は、自分ではなかなか見えぬものじゃ。人前でだけ言う者もおれば、家計簿を前にしたときだけ言う者もおる。金を「怖い」ものと見る者もおれば、「汚い」ものと見て遠ざける者もおる。癖の在りかが違えば、直し方も違うてくる。
金運の社の金運タイプ診断は、そなたが金とどう向き合いやすいか、その傾向を映す鏡じゃ。自分の癖を知れば、「だから私は、あの場面でいつも“ない”とつぶやいておったのか」と、腑に落ちる。責めるためではない。置き換えるべき一言が、どこに潜んでおるかを、見定めるためじゃ。
そして、朝いちばんに今日の金運をのぞくのも、口ぐせを変える良い足がかりになる。占いや吉日は、当てるための道具ではない。「今日は“ない”を一度も言わぬ」と、その日ひとつ、自分に小さな約束をするための杭じゃ。すがるためではなく、今日の口を整えるために使え。それが、縁起の正しい使い道というものよ。迷うたときはおみくじを一度引いて、出た言葉を今日の合言葉にするのも一興じゃ。占いの言葉を、自分を励ます杖に変えられる者は、強い。」
「まだ、ある」と言える者の手のなかに、次が巡る
そなたに、ひとつ願いを渡しておく。今日から、財布を開けたとき、心のなかで小さくこう唱えてみよ。――「まだ、ある」とな。千円しかなくとも「まだ千円ある」。今月がきつくとも「まだ、屋根の下におる」。当たり前と思うておることに、ひとつずつ「まだ、ある」と気づく。これは、自分をごまかすことではない。“ある”を数える力を、取り戻す稽古じゃ。
「ない」と唱える者の手は、いつも固く握りしめられておる。失うまいと縮こまり、こわばっておる。じゃが、こわばった手には、新しいものは載せられぬ。一方、「まだ、ある」と言える者の手は、ふっとゆるむ。ゆるんだ手のひらにこそ、次の一巡りが、そっと載る余地が生まれる。金運の巡りは、握りしめる者ではなく、手のひらをひらいて待てる者の背を、そっと押すと語り継がれておる。断じて保証はせぬがな。じゃが、握って失い、ひらいて得る――この理は、金にかぎった話ではなかろう。
覚えておけ。「お金がない」と「まだ、ある」。口にする言葉はたった数文字の違いじゃ。じゃが、その数文字が、そなたの目に映る世界を、まわりに貼られる値札を、そして巡ってくる縁の向きまでを、まるごと変えていく。同じ財布を持っても、口ぐせひとつで、掴むものはまるで違うてくる。私は、そう視ておる。」
結びに――今日、そなたの口が唱えるのは、どちらの呪文じゃ
最後に、この読みものを開いてくれたそなたへ、問いをひとつ残す。難しいことは何もいらぬ。今日一日、こう自分を見張ってみよ。――「私は今日、“ない”を何度つぶやき、“まだ、ある”を何度つぶやいただろうか」とな。
その差が、そなたの明日を、静かに決めていく。厳しいようだが、これは呪いではない。むしろ救いじゃ。なぜなら、口ぐせは、生まれつきのものではない。今日から、いくらでも変えられるからじゃ。育ちも、今の懐具合も、関係ない。ただ「ない」を一つ減らし、「まだ、ある」を一つ増やす。それだけで、そなたの耳が浴びる呪文が変わり、目に映る世界が変わり、巡りが向きを変えはじめる。
私は、甘い言葉は言わぬ。じゃが、落ちる前には、必ず袖を引く。今、そなたの袖を引いておるのは、そのためじゃ。――さあ、今日そなたの口が唱えるのは、財布を縫い閉じる呪文か。それとも、手のひらをひらく呪文か。答えは、そなたの口のなかにある。視鬼のコラムは、また次の耳の痛い話を持って、ここで待っておる。逃げたくなったら、いつでも戻ってこい。何度でも、袖を引いてやる。」
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