視鬼(しき)じゃ。今日は、そなたの通帳に、月ごと同じ日に刻まれる、小さな数字の話をする。四百円。九百八十円。千五百円。――一つ一つは、たいした額ではなかろう。じゃが、そなたはその引き落としの中身を、今この場で、全部そらんじられるか。「あれと、あれと……はて、あと一つ、何じゃったか」。そう詰まったなら、今日の話は、まさしくそなたのための話じゃ。見てもおらぬ動画の館、開いてもおらぬ調べものの帳面、去年きり足を運んでおらぬ稽古場の月謝。そなたは「解約がめんどうで」の一言で、使わぬものに、毎月きちんと供物を捧げつづけておる。金額が小さいゆえに、痛みも小さい。痛みが小さいゆえに、いつまでも直さぬ。今日は、その“気づかぬ出血”を、一滴ずつ、明るみに引きずり出す。耳が痛いのは承知の上。じゃが、痛むところにこそ、閉じ忘れた財布の口の、締め方が隠れておるのじゃ。
・小さな金額ほど、「めんどう」を口実に見て見ぬふりをされ、静かに積もっていきます
・厳しい言葉のなかに、救いを込めています。責めて終わりにはしません
・本コラムは縁起・言い伝えをもとにした読みものです
視鬼畏怖・警告
今日は、そなたの財布から、毎月、音もなく抜けていく銭の話をする。盗まれておるのではない。強盗に遭うておるのでもない。そなた自身が、はっきり「払う」と決めたまま、忘れておるだけじゃ。じゃがな、忘れておるだけに、いちばんたちが悪い。よう聞いておくれ。
「めんどう」の三文字が、いちばん高くつく
まず、そなたの口ぐせから突きつけよう。使わぬ月契約を残しておる者に、理由を問えば、返ってくる言葉はたいてい同じじゃ。――「解約するのが、めんどうで」。この三文字が、曲者よ。
考えてみよ。解約に要する刻は、長くて数分じゃ。画面を開き、いくつか押し、確かめる。それだけのこと。ところが、そのわずか数分を「めんどう」と後回しにするたび、そなたは、使わぬものへ、来月も、再来月も、供物を払いつづける。数分の「めんどう」を避けた代金を、何ヶ月も、何年も、分割で払わされておるのじゃ。これほど割の合わぬ取引が、他にあるか。
「めんどう」というのは、目の前の小さな手間からは、確かにそなたを守る。じゃがその見返りに、遠くの、もっと大きな損を、そなたの背に括りつけていく。これは、金にかぎった話ではない。先延ばしの癖そのものが、いかに静かに実入りを痩せさせるかは、以前「めんどくさい」で先延ばした小銭が、山になって崩れていくでも、耳が痛くなるほど語った。今日の話は、その“月ごとに繰り返す先延ばし”の、いちばん厄介な姿じゃと思うて聞け。」
見覚えはないか――「まあ、また使うかもしれぬし」
少し、そなたの胸の内を覗かせてもらおう。――ある晩、通帳か、明細の画面を、なんとなく眺める。見慣れぬ名の引き落としが、目にとまる。「はて、これは何じゃ」。しばらく考えて、思い出す。半年前、ひと月だけ試すつもりで入った、あの動画の館じゃ。以来、一度も開いておらぬ。
ここで、そなたは指を止める。解約の画面まで、あと少し。じゃが、こう囁く声がする。「まあ、また使うかもしれぬし」「もう払うた分がもったいないし」「そのうち、ゆっくり見るつもりだったし」。――そうして、そなたは画面を閉じる。“そのうち”は、来ぬ。半年来なかったものが、来月から急に来るはずもない。じゃが、そなたは「また使うかも」の一言で、来月ぶんの供物を、また一つ、館に捧げてしまう。
見覚えは、ないか。ここで、よう考えてみよ。そなたが本当に払うておるのは、動画への代金か。……違う。そなたが払うておるのは、「解約する」という小さな決断を、先延ばしにするための“心の安め代”じゃ。決めずに済ませられるなら、月に数百円くらい安いもの――そう、そなたの心が、勝手に取引を結んでおる。この取引を、幾つも重ねた果てに、そなたの財布は、そなたの知らぬ約束事で、じわりと縛られていく。私が案じておるのは、そこよ。」
小さいから見過ごす――その油断を、水漏れは待っておる
もうひとつ、恐ろしいことを教えよう。使わぬ月契約が始末に負えぬのは、額が「小さい」からじゃ。大きな損なら、人はすぐ気づき、慌てて手を打つ。じゃが、月に数百円の漏れは、痛みが小さすぎて、心の見張りをすり抜けてしまう。
屋根のひと雫の雨漏りを思い浮かべてみよ。ぽつり、ぽつり、と落ちる一滴は、拭けば済む。だから人は、根を直さず、放っておく。ところが、その一滴は、年を越えるころには、天井の芯を腐らせ、柱まで蝕んでおる。小さいゆえに見過ごされ、見過ごされるゆえに長びき、長びくゆえに、気づいたときには大きく育っておる――これが、水漏れというものの正体じゃ。使わぬ月契約も、まったく同じ理よ。
月に千円の漏れは、年で一万二千。三つ重なれば、年で三万六千。五年放てば、十八万じゃ。――その額を、もし目の前に一度に積まれたら、そなたは決して見過ごすまい。じゃが、月ごとに小分けにされたとたん、そなたの目は、ふっと曇る。金運の巡りというものは、古来「小さきものを大切に扱う者の背を押す」と語り継がれておる。裏を返せば、小さきものを見過ごす者の手からは、その巡りも、小分けにこぼれていくということじゃ。」
「もったいない」が、いちばんの落とし穴じゃ
ここで、そなたの解約を止めておる、いちばん厄介な思いに、名をつけておこう。――「もったいない」じゃ。「これまで払うた分が、もったいない」「せっかく入ったのに、もったいない」。この思いが、そなたの指を、解約の一歩手前で凍らせる。
じゃがな、ようく考えてみよ。これまで払うた銭は、もう手元には戻らぬ。使うても使わずとも、去った銭は去った銭じゃ。ところが「もったいない」は、その“戻らぬ過去”を惜しむあまり、そなたに“これから”まで払わせようとする。過去がもったいないから、未来も差し出す――これでは、損を惜しんで、さらに損を重ねておるだけじゃ。「もったいない」の本当の使いどころは、過去ではない。これから流れ出ていく、未来の銭にこそ向けよ。
そなたが向き合うべき問いは、たった一つ。「今日から先、これに払う価値が、私にあるか」――それだけじゃ。過去は、問いに入れるな。過去を惜しんで未来を縛るのは、使うべき所と、どうでもよい所を、取り違えておる姿でもある。この“金の使いどころの狂い”については、使うべき所でケチり、どうでもよい所で散らすで、たっぷり袖を引いた。あわせて読めば、そなたの財布の“抜け穴”の在りかが、もっとはっきり視えてこよう。」
使わぬ約束が積もると、財布は「重く」なる
目に見える損の話をしてきたが、目に見えぬ損も、あわせて教えておく。使わぬ月契約をいくつも抱えた者の財布は、金額の話とは別に、じわりと“重く”なっていく。心のうえで、重くなるのじゃ。
思い出してみよ。明細を見るたび、そなたの胸には、ちくりと小さな棘が刺さる。「ああ、これも、まだ解約しておらぬ」「あれも、いつか片づけねば」。使うてもおらぬのに、心の隅で、その約束事が、ずっと荷を負わせつづける。使わぬ契約は、銭を吸うだけでなく、そなたの心に“未処理”の山を積んでいく。そして人の心というものは、この“片づいておらぬこと”の数だけ、静かに疲れていくものじゃ。
金運の巡りは、澄んで、軽やかな心のところへ、よう流れてくると語り継がれておる。逆に、あちこちに“やり残し”を抱えて濁った心には、新しいものを迎える隙がない。手が、片づけの荷でふさがっておるからよ。――使わぬ約束を一つ断つことは、月々の銭を守るだけではない。心に積もった“未処理”を一つ下ろし、福が入る隙を、そこに空けることでもある。財布の軽さと、心の軽さは、思うておるより深くつながっておるのじゃ。」
「入るは易く、出るは難く」――その仕掛けに気づけ
そなたを責めてばかりでは片手落ちじゃ。使わぬ契約が溜まるのには、そなたの怠けだけでなく、世の“仕掛け”のほうにも理由がある。ここを知っておけ。
月契約というものは、たいてい「入るは、驚くほど易く」できておる。ひと押し、ふた押しで、その日から始まる。ところが「出る」段になると、途端に道が細くなる。どこを押せばよいか分かりにくく、幾度も確かめを挟まれ、「本当にやめるのか」と、幾度も引き止められる。これは、そなたの気のせいではない。“入りやすく、出にくく”できておるものは、世の中に数多い。そう心得ておくだけで、そなたの油断は、ずいぶん減る。
じゃがな、仕掛けを恨んでも、銭は戻らぬ。仕掛けがそうなっておると知ったなら、こちらも構えを変えればよいだけじゃ。すなわち――「入る」ときにこそ、いちばん慎重になれ。始めるひと押しの前に、「これは、いつ、どうやってやめられるか」を、先に確かめておく。出口を確かめてから入る者は、迷路に迷わぬ。入口の甘さに釣られず、出口から先に見る癖をつけよ。これは、金の話にかぎらず、そなたの身を守る、良い習いになる。」
「使っておらぬ」と「使うかもしれぬ」を、分けて考えよ
さて、そろそろ、手の動かし方の話に移ろう。まず、そなたの抱える月契約を、心のなかで二つに仕分けせよ。一つは「今、確かに使うておるもの」。もう一つは「使っておらぬが、また使うかもしれぬもの」。――厄介なのは、後者じゃ。この“かもしれぬ”が、そなたの手を、いつも止めてきた。
そこで、この“かもしれぬ”に、一つ、物差しを当ててやろう。問うのは、こうじゃ。「この一ヶ月、私はこれを、何度使うたか」。指を折って数えてみよ。もし、答えが「零」であったなら――その“かもしれぬ”は、もう“使わぬ”と、はっきり呼び直してよい。人は、過去に使わなんだものを、未来に急に使いはじめたりはせぬ。「また使うかも」の九割は、来ぬ未来じゃ。
それでも、どうしても断ち切れぬなら、こう考えよ。――「今、一度やめて、本当に必要になったときに、また入り直せばよい」。多くのものは、いつでも入り直せる。ならば、使うておらぬ間くらい、銭の流れを止めておくのが道理じゃ。「持ちつづける」より「必要なときに手を伸ばす」ほうが、身も財布も軽い。この身軽さこそが、次の巡りを迎える“余白”になる。」
今日の一手――「一つだけ」棚卸しせよ
ここまで聞いて、「よし、全部見直すぞ」と勇む者ほど、あぶない。全部を一度に、と身構えたとたん、それこそ「めんどう」の壁が立ちはだかり、また先延ばしがはじまる。じゃから、今日、そなたがやることは、たった一つでよい。
――今日、月々の引き落とし明細を、一度だけ開け。そして、その中から「一ヶ月、一度も使わなかったもの」を、一つだけ探し出し、その一つだけを、今日、片づけよ。解約でもよい。まずは「これは要らぬ」と紙に書き出すだけでもよい。大事なのは、一つでよいから、今日、手を動かすことじゃ。二つ、三つと欲張るな。一つでよい。
この「一つだけ」には、額の大小を超えた意味がある。使わぬものに、自分が銭を払いつづけておった――その事実を、そなたが自分の目で確かめ、自分の手で断つ。この“一度きりの体験”が、そなたの心に、「私は、自分の財布を、自分で握れる」という手ざわりを刻む。金運とは、まずもって、この“自分で握っておる”という手ざわりの話なのじゃ。大きな元手はいらぬ。今日、一つ、片づける。それだけで、月ごとの静かな出血は、一筋、確かに止まる。」
自分の“漏れやすい癖”を知れば、二度と溜まらぬ
一つ片づけたら、次は「なぜ、私はこれを溜めこんだのか」を、静かに省みよ。人の“漏れの癖”は、みな違う。試すのが好きで、次々入っては忘れる者。断るのが苦手で、勧められるまま入ってしまう者。「安いから」と、要りもせぬのに契約を増やす者――この“安さに釣られる癖”は、「安い」に飛びつく者は、高いものを一生掴めぬで、みっちり袖を引いた。癖の在りかが違えば、防ぎ方も違うてくる。
金運の社の金運タイプ診断は、そなたが金とどう向き合いやすいか、その傾向を映す鏡じゃ。自分の癖を知れば、「だから私は、あの手のものに、いつも引っかかっておったのか」と腑に落ちる。責めるためではない。次の漏れを、入口で防ぐためじゃ。財布を整える段取りそのものについては、財布の整え方もあわせて手元に置いておくとよい。
そして、月に一度、決まった日を「棚卸しの日」と定めておくのも、良い習いじゃ。朝いちばんに今日の金運をのぞいて、「今日は棚卸しの日」と自分に杭を打つ。占いや吉日は、当てるための道具ではない。「今日、財布と向き合う」と、その日ひとつ、自分に約束するための杭じゃ。すがるためではなく、重い腰を上げる合図に使え。それが、縁起の正しい使い方というものよ。」
わしの覚え書き――三つだけ、持ち帰れ
今日の話は、これで終いじゃ。じゃが、読んで頷いて終わりでは、来月の明細は、また同じ顔で並ぶ。そなたが後で立ち返れるよう、わしの言葉を、三つだけ、短く括って渡しておく。財布のそばにでも、書き写しておけ。
一、「めんどう」の代金は、後払いで、しかも高くつく。――解約の数分を惜しむたび、使わぬものへの供物を、何ヶ月も分割で払わされておる。
二、「もったいない」は、過去でなく“未来の銭”に向けよ。――戻らぬ過去を惜しんで、これから流れる銭まで差し出すな。問いはただ一つ、「今日から先、払う値打ちがあるか」。
三、直すのは「一つだけ」でよい。今日、手を動かせ。――全部を一度に、と身構えた者から、また先延ばしがはじまる。一つ断てば、静かな出血は、一筋止まる。
この三つを、月に一度、思い出せる者は、二度と“気づかぬ漏れ”に、福を吸われぬ。小さきものを見過ごさぬ手のひらにこそ、次の巡りは、そっと載る。――覚えておけ。」
結びに――そなたの財布は、そなたが握れ
最後に、この読みものを開いてくれたそなたへ、問いをひとつ残す。難しいことは何もいらぬ。今夜、寝る前に、こう自分に問うてみよ。――「私の財布から、今、私の知らぬ約束事で抜けていく銭は、いくらある」とな。
その問いに、はっきり答えられぬなら、それはそなたの怠けではない。ただ、まだ一度も、腰を据えて向き合うておらぬだけじゃ。向き合えば、必ず視えてくる。そして視えたものは、必ず、そなたの手で断てる。使わぬ約束を一つ断つたび、そなたの財布は軽くなり、心の“未処理”の山も、一つ低くなる。軽くなった手のひらにこそ、新しい巡りは、そっと載るのじゃ。
私は、甘い言葉は言わぬ。じゃが、静かに出血しておる者を、黙って見過ごしはせぬ。今、そなたの袖を引いておるのは、そのためよ。次に耳の痛い話を持ってくるのは、一円を拾うて一万を取りこぼす者へ――ポイント還元を追い、一円を拾って一万を取りこぼす者よのところじゃ。安さ集めに刻を費やす、そなたの実入りの話をする。逃げたくなったら、いつでも戻ってこい。何度でも、袖を引いてやる。――なお、ここで語ったのは古(いにしえ)からの言い伝えと心の話であって、福の巡りを請け合うものではない。行いの手綱は、いつでもそなた自身の手にあると心得よ。」
※本記事は占い・風水・古くからの言い伝えを、娯楽の範囲でご紹介するものです。記載の内容は効果や結果を保証するものではありません。宝くじ等の当選を保証するものではなく、ゲン担ぎ・縁起としてお楽しみください。暦(吉日)は流派・暦により差が出る場合があるため、実際の日付は最新の暦でご確認ください。健康・体調に関する判断は専門家にご相談ください。一部にプロモーション(PR)を含みます。