視鬼(しき)じゃ。今日は、そなたがこのごろ、幾度も自分に言い聞かせておるであろう、ひとつの言葉を視にいく。――「今のままでいい」。誘いを断るとき、新しい話に尻込みするとき、変わろうとする自分を諫めるとき、そなたはこの言葉を、まるで賢い者の口ぶりで唱えておらぬか。欲張らぬ、身の丈を知る、良い言葉のように聞こえよう。じゃがな、わしにはこう視える。ほんとうに満ち足りて「今のまま」と言うておる者は、じつは少ない。多くの者は、心の奥で、こう言うておるのじゃ。――「変わりたくないのではない。変わるのが、ただ怖い」とな。今日は、その一言の“奥”を、一枚ずつめくりにいく。耳が痛いのは承知の上。じゃが、痛むところにこそ、戸口で押し返しておった福の、招き入れ方が隠れておるのじゃ。
・満ち足りての「今のまま」か、変わるのが怖いだけの「今のまま」か――その違いを突きます
・厳しい言葉のなかに、救いを込めています。責めて終わりにはしません
・本コラムは縁起・言い伝えをもとにした読みものです
視鬼畏怖・警告
今日は、そなたがこのごろ、自分に言い聞かせておるであろう、ある一言を視にいく。悪い言葉には聞こえぬ。むしろ、慎ましく、大人びた、良い言葉のようですらある。じゃがな――その一言が、めぐってくるはずの福を、戸口の手前で、そっと押し返しておるとしたら。聞かずに済ませられるか。よう聞いておくれ。
「今のままでいい」は、たいてい“ほんとう”ではない
まず、いちばん痛いところから突かせてもらう。そなたが「今のままでいい」と口にするとき、その言葉は、満ち足りた者のため息か。それとも、動きたくない足に、後づけで貼った言い訳か。――胸に手を当ててみよ。ほんとうに満ちておる者は、わざわざ「今のままでいい」とは言わぬものじゃ。満ちておるなら、ただ静かに、その日を味わうておればよい。わざわざ言葉にして自分に言い聞かせるのは、心のどこかが「このままでは、いかんのでは」と、ざわめいておる証じゃ。
人は、ほんとうに納得しておることは、口にせぬ。声に出して念を押すのは、たいてい、自分でも半分あやしんでおるときよ。「今のままでいい、今のままでいい」と、そなたが幾度も唱えておるなら、それは満足の歌ではない。ざわめきを、むりに黙らせるための、子守唄じゃ。子守唄で寝かしつけておるのは、そなたの中の「変わりたい」という、まだ小さな声。――今日はまず、その声を、寝かしつけるのをやめて、ひとこと聞いてやってほしい。何を、ほんとうは望んでおるのかをな。
見覚えはないか――そっと断った、あの一歩
少し、そなたの日々を覗かせてもらおう。――昇給や役替えの話が、まわってきた。「やってみぬか」と声がかかる。胸が、ほんの少し高鳴る。じゃが、次の瞬間、そなたは笑って、こう返す。「いえ、わたしなんて。今のままで十分ですから」。あるいは、久しぶりに誘われた学びの場。行けば、何かが変わるかもしれぬ。行きたい。じゃが、申込みの画面を開いたまま、そなたは指を止め、そっと閉じる。「まあ、今のままでも、困ってはおらぬし」。……見覚えは、ないか。
あるいは、こうもある。ずっと気になっておった仕事の誘い。会ってみたい人。始めてみたい小さな商い。どれも、心の隅では、灯りがともっておる。じゃが、そのたびに、そなたは同じ札を切る。「今は、そのときではない」「今のままで、うまく回っておるのだから」。――そうして、胸が高鳴った回数だけ、そなたは“今のまま”という戸を、内側から静かに閉めてきた。
ここで、よう考えてみよ。そのとき断ったのは、ほんとうに「望んでおらぬ」からであったか。……違うことも多かろう。断ったのは、望みがなかったからではない。望みが叶うかもしれぬ、その一歩の先が、ただ怖かったからじゃ。「今のままでいい」は、その怖さに、聞こえのよい理由をかぶせる、便利な一言。――このかぶせを、幾度もくり返した果てに、そなたは、高鳴ることすら、しなくなっていく。わしが、いちばん案じておるのは、そこよ。
「今のまま」は止まっておるのではない、静かに流されておる
もうひとつ、恐ろしいことを教えよう。そなたは「今のままでいい」を、その場に留まること、安全にじっとしておることだと思うておらぬか。――違う。この世に、ほんとうの“今のまま”などは、ひとつもない。川の中ほどで、櫂を止めた舟を思い浮かべてみよ。漕ぐのをやめても、舟は止まらぬ。流れに乗って、じわじわと、下へ下へと運ばれていく。留まっておるつもりが、じつは、後ろへ下がっておるのじゃ。
世の中も、人も、値も、みな動いておる。まわりが半歩ずつ前へ出ておるなかで、そなただけが櫂を止めれば、その分だけ、位置は下がる。じっとしておること自体が、じつは、静かな後退よ。「今のまま」を守っておるつもりで、そなたは、少しずつ流されておる。――そして、流されておることの、いちばん恐ろしいところは、速さが感じられぬことじゃ。落ちる痛みがあれば、人は気づく。じゃが、静かに流されるのには、痛みがない。だから、気づいたときには、ずいぶん遠くまで運ばれておる。
金運の巡りというものも、古来「動く水にこそ、清らかに宿る」と語り継がれておる。よどんで動かぬ水は、やがて濁る、とな。断じて脅しではないが、この理は、金にかぎった話ではなかろう。留まることは、守ることではない。ときに、いちばん静かな損じゃ。」
「変わりたくない」の下に隠れた、本当の言葉
ここで、そなたの胸の奥を、もう一枚めくろう。「今のままでいい」――この言葉の下には、たいてい、言いにくい本音が隠れておる。そなたの“今のまま”の下には、どれが潜んでおる。
ひとつは、「怖い」じゃ。変われば、慣れた景色が変わる。新しい場所では、また一から、できぬ自分に出会わねばならぬ。その心細さが怖い。だから「今のまま」と言うて、慣れた不自由のなかに、丸くなっておる。ふたつめは、「失いたくない」。今、手にしておるものを、変化で手放すのが惜しい。たとえそれが、そなたを縛る鎖であっても、握り慣れた鎖は、なぜか手放しがたい。みっつめは、「試されたくない」。動けば、うまくいくかどうか、答えが出てしまう。動かずにおれば、「やればできたはず」という夢を、そっと抱いたままでいられる。
どれも、弱さではない。人の心の、当たり前の働きじゃ。じゃがな、「今のままでいい」という“満足の顔”をかぶせた瞬間、その怖さは、向き合いようのないものに化ける。怖い、と認めれば、なだめる手立てもあろう。ところが「これで十分」と言い切った瞬間、なだめる相手すら、いなくなる。――そなたが“今のまま”という戸で閉じこめておるのは、暮らしではない。試されるのを怖がる、そなた自身の本音のほうじゃ。」
なぜ動けぬのか――心は、変化を“損”と数える
厳しく突いておるが、そなたを責めておるのではない。「今のまま」から動けぬのには、ちゃんと理由がある。人の心は、生まれつき、手に入る喜びより、失う痛みを、うんと大きく感じるようにできておるのじゃ。同じ一両でも、拾う嬉しさより、落とす悔しさのほうが、ずっと重く胸にのしかかる。――これは、そなたの気の弱さではない。人という生きものの、古い癖よ。
だから、変化を前にすると、心は勝手にこう算盤をはじく。「動いて得るかもしれぬものより、動いて失うかもしれぬもののほうが、こわい」とな。まだ得てもおらぬのに、失う痛みだけを、先に、たっぷり味わう。この算盤が、そなたの足を、戸口で止める。「今のままでいい」は、その止まった足に、あとから貼る、上品な札にすぎぬ。
じゃがな、この心の癖を、知っておるだけで、話は変わる。次に「今のままでいい」と言いそうになったら、こう自分に問うてみよ。――「わしは今、手に入るものを、正しく数えたか。それとも、失う痛みだけを、大きく見積もっておらぬか」とな。算盤の傾きに気づくだけで、そなたは、癖に流されず、自分の頭で選び直せるようになる。」
動く者を「意識が高い」と笑う口には、次が来ぬ
もうひとつ、静かに突いておかねばならぬことがある。「今のまま」に長く留まる者は、いつしか、動く者を、そっと笑うようになる。挑む仲間を見て、「まあ、ようやるわ」「そのうち、痛い目を見る」「意識が高いこって」と。――その笑いは、じつは、そなた自身の“動けなさ”を、正しいことにするための、小さな呪いじゃ。
人は、自分が選ばなかった道を、誰かが歩いておるのを見ると、胸がざわつく。そのざわつきを鎮めるのに、いちばん手っ取り早いのが、相手を見下すことよ。「あれは、あの人が変わり者だから」「うちは、うちだから」。そう言うて線を引けば、動かぬ自分を、責めずに済む。じゃがな、その線を引くたびに、そなたは、動く者の背中から学ぶ機会を、一つずつ捨てておる。
そして、金の縁も、良い話も、たいてい「動いておる者」のあいだを、めぐっておる。人は、明るく前へ進む者のそばに、良い話を持って集まる。動く者を笑い、じっと留まる者のまわりからは、その巡りが、そっと引いていく。笑う口は、笑った分だけ、次の縁を遠ざける――そう心得ておけ。動く者を見て胸がざわついたなら、それは笑うところではない。そなたの中の「ほんとうは、わしも」という声が、袖を引いておる合図じゃ。」
小さな“今のまま”が、大きな“手遅れ”に化けるとき
「今のまま」の、いちばん怖い性質を教えよう。それは、一日ぶんでは、なんの害もないように見えることじゃ。今日、動かなかった。それで、何が困る。何も困らぬ。明日も動かぬ。やはり、何も起こらぬ。――この「何も起こらぬ」の心地よさが、曲者よ。害が見えぬから、そなたは、安心して先延ばしをつづける。
じゃが、動かぬ一日は、たしかに積もっておる。半年、一年、三年。塵のように軽い「今のまま」が、気づけば、動きようのない重さになって、そなたの足を埋めておる。あのとき動いておれば、まだ半歩で済んだものが、今では、山を越えねばならぬ。――こうして、小さな“今のまま”は、時をかけて、大きな“手遅れ”へと、静かに化けていく。害が後払いで、しかも利息つきなのは、便利な言い訳の、いつもの手口じゃ。
だからこそ、わしは、今日、そなたの袖を引いておる。手遅れになってからでは、袖を引いても、もう遠い。じゃが、今ならまだ、半歩で足りる。「今のまま」が軽いうちに――塵が、まだ塵のうちに、一度、払うてみよ。」
変わるとは、生まれ変わることではない――半歩でよい
ここまで厳しく突いたゆえ、そなたは身構えておるかもしれぬ。「では、何もかも変えねばならぬのか」とな。――安心せい。わしは、そんな荒療治は勧めぬ。仕事を捨てよ、暮らしをひっくり返せ、生まれ変わって別人になれ――そんなことは言うておらぬ。そういう“大きな変化”を思い描くから、人はかえって、怖くて動けなくなるのじゃ。
変わるとは、生まれ変わることではない。今日、いつもと少しだけ、違うほうへ、半歩だけ足を置いてみることじゃ。断っておった誘いに、一度だけ「はい」と言うてみる。閉じかけた申込みの画面を、今日は閉じずに、名だけ書いてみる。気になっておった人に、たった一行、便りを送ってみる。――大きく変える必要はない。舟の櫂を、ほんの一漕ぎ、入れてみるだけでよい。一漕ぎでも、流されるだけの舟は、ちゃんと向きを変える。
そもそも、自分が、どの場面で「今のまま」に逃げこみやすいのか――その癖は、自分ではなかなか見えぬものじゃ。金運の社の金運タイプ診断は、そなたが、どんなときに動きをためらい、どんなときに前へ出やすいか、その傾向を映す鏡じゃ。自分の癖の在りかを知れば、「だからわしは、あの場面でいつも“今のまま”と言うておったのか」と、腑に落ちる。責めるためではない。半歩を、どこに置けばよいかを、見定めるためじゃ。」
今日、たった一つ“いつもと違う”を選べ
では、今日から何をする。難しいことは、何もいらぬ。今日一日のなかで、たった一つでよい、「いつもと違う」を、自分で選んでみよ。いつもの道を、一本ずらして帰ってみる。頼んだことのない品を、一度たのんでみる。言いそびれておった礼を、今日こそ言うてみる。――なんでもよい。金のかからぬことでよい。ただ、「今のまま」の外へ、爪先を一つ、出してみる。それだけじゃ。
なぜ、こんな小さなことを勧めるか。人の心は、「変われる」と頭で思うだけでは、なかなか信じられぬ。じゃが、小さくとも一度、“いつもと違う”を選んで、それで別に世界が終わらなんだ――その手ざわりを一つ得ると、心は、はじめて「なんじゃ、動いても、こわくなかった」と、少しずつ思いはじめる。小さな一つが、次の一つの、怖さを溶かすのじゃ。
朝いちばんに今日の金運をのぞくのも、その足がかりになる。占いや吉日は、当てるための道具ではない。「今日は、一つだけ“いつもと違う”を選ぶ」と、その日ひとつ、自分に小さな約束をするための杭じゃ。すがるためではなく、止まった足を、今日ひとたび動かすために使え。迷うたときはおみくじを一度引いて、出た言葉を、今日ひと足ぶんの背中を押す合言葉にするのも一興じゃ。占いの言葉を、動くための杖に変えられる者は、強い。」
結びに――「今のまま」でおれる時間ほど、有限なものはない
最後に、この読みものを開いてくれたそなたへ、ひとつ問いを残す。難しいことは何もいらぬ。今日、こう自分に問うてみよ。――「わしは今、満ち足りて“今のまま”を選んでおるのか。それとも、怖さに、そう言い聞かせておるだけか」とな。
もし前者なら、それでよい。存分に、今日を味わえ。じゃが、もし胸の奥が、ほんの少しでもざわめいたなら――その声を、もう、子守唄で寝かしつけるな。それは、そなたの中の「まだ、変われる」という声じゃ。厳しいようだが、これは呪いではない。むしろ救いよ。なぜなら、「今のまま」は、生まれつき決まったものではない。今日から、半歩でも、いくらでも動き出せるからじゃ。育ちも、今の懐具合も、関わりない。ただ、断ってきた一歩に、一度「はい」と言うてみる。それだけで、戸口で押し返しておった福に、招き入れる隙間が生まれる。
覚えておけ。皮肉なことにな、「今のまま」でおれる時間ほど、有限なものはないのじゃ。動けるうちに動かねば、いつか、動きたくとも動けぬ日が来る。わしは、甘い言葉は言わぬ。じゃが、落ちる前には、必ず袖を引く。今、そなたの袖を引いておるのは、そのためじゃ。――さあ、今日そなたが選ぶのは、戸を閉める側か。それとも、爪先ひとつ、外へ出してみる側か。答えは、そなたの一歩のなかにある。視鬼のコラムは、また次の耳の痛い話を持って、ここで待っておる。動くのが怖くなったら、いつでも戻ってこい。何度でも、袖を引いてやる。
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