視鬼(しき)じゃ。今日は、そなたが心の奥で、ずっと結んでおるであろう、ひとつの取り引きを暴きにいく。――「あと少し稼いだら、幸せになろう」「もっと余裕ができたら、心から楽しもう」。そなたは、そう自分に言い聞かせて、今日という日を、来る日も来る日も、先送りにしておらぬか。よいか。その取り引きの正体を、わしははっきり視ておる。そなたは、“いつかの幸せ”という戻るあてのない質草と引き換えに、“今日”というかけがえのない一日を、質屋の暗い棚へ、自ら差し出しておるのじゃ。しかも、その質草――「稼いだら」の“いつか”は、いつまで待っても、そなたの手には戻ってこぬ。今日は、その取り引きを、一枚ずつ剥がしにいく。耳が痛いのは承知の上。じゃが、痛むその場所にこそ、質に入れた今日を、請け出す手立てが埋まっておる。
・稼ぐことと幸せになることを、正しい順序に戻すための話です
・厳しい言葉のなかに、今日を質から請け出す一手を込めています
・本コラムは縁起・言い伝えをもとにした読みものです
視鬼畏怖・警告
今日は、そなたが心の奥で握りしめておるであろう、ある“取り引き”の話をする。「稼いだら、幸せになる」――その約束と引き換えに、そなたは今日という日を、幾度も質に入れておらぬか。悪気はなかろう。むしろ、真面目だからこそ、その取り引きに縛られておる。じゃが、その質草は、待てど暮らせど戻ってこぬ。落ちる前に、袖を引きにきた。よう聞いておくれ。
そなたは、“今”を質草にして、“いつか”を借りておる
まず、そなたが日々、無意識にやっておる取り引きを、はっきり言葉にしてやろう。――「稼いだら、幸せになる」。この一見まっとうな考えのなかで、そなたが実際にやっておるのは、こういうことじゃ。“今日この一日を心から味わうこと”を質屋へ預け、その代わりに、“いつか訪れるはずの幸せ”を、前借りしておる。
「今は、我慢のときだ」「今は、楽しんでおる場合ではない」「落ち着いたら、ゆっくりすればいい」――そう言うて、そなたは目の前の一日を、あとまわしの棚へ、そっと押しやる。旅も、休みも、大事な人との時間も、心からの笑いも、「稼いでから」と、質札を貼って預けていく。そして、その質草がいつか戻ってくると、信じて疑わぬ。
じゃが、よう考えてみよ。質屋に預けたものは、利息をつけて請け出さねば、戻ってはこぬ。そして、今日という日には、請け出す手立てが、そもそも存在せぬ。過ぎた一日は、いくら稼いでも、買い戻せぬのじゃ。そなたが質に入れておるのは、この世で唯一、金では二度と買えぬもの――過ぎゆく今日じゃ。まず、その取り引きの、恐ろしい中身に気づいてほしい。」
見覚えはないか――「今日はいい」と手を振った、あの誘い
少し、そなたの日々を覗かせてもらおう。――家族が「たまには、どこかへ出かけぬか」と誘う。子が「一緒に遊ぼう」と袖を引く。友が「ひさしぶりに会おう」と声をかける。そのたび、そなたは、少し疲れた笑みで、こう返しておらぬか。「今は、ちょっと忙しくてな」「もう少し、余裕ができたら」「落ち着いたら、必ず」。……見覚えは、ないか。
あるいは、こうもあろう。ふと目にとまった景色に、心が動く。おいしそうな一皿に、足が止まる。読みたい本、行きたい場所、やってみたいこと――胸の奥が、小さく「今、味わいたい」と疼く。じゃが、そなたはそれを、「稼いでからでいい」「今は、そんな贅沢をしている場合ではない」と、そっと押し戻す。そうして、心が「今」と言うたその瞬間を、いくつも、いくつも、見送ってきた。
ここで、よう考えてみよ。そのとき、本当に「なかった」のは、金や暇であったか。……違うことも多かろう。なかったのは、「今日を、今日として味わってよい」という、自分への許しじゃ。そなたは、余裕がないから見送ったのではない。「幸せは、稼いだ先にある。今、味わうのは、まだ早い」と、心のどこかで決めておったのじゃ。そして、その“まだ早い”を、来る日も来る日も繰り返した果てに――子は大きくなり、親は老い、季節は巡り、二度と戻らぬ今日が、静かに過ぎていく。わしが、いちばん案じておるのは、そこよ。」
「稼いだら」の“いつか”は、ゴールをずらし続ける
もうひとつ、残酷な仕組みを教えよう。「稼いだら、幸せになる」――この取り引きの、いちばんたちの悪いところは、その“ゴール”が、決して定まらぬことじゃ。
百万貯まれば、幸せになれると思う。じゃが、いざ百万貯まると、心はこう言う。「いや、まだ足りぬ。三百万あれば、本当に安心だ」。三百万貯まれば、今度は「五百万なければ、この先が不安だ」。――このように、“いつか”のゴールは、そなたが近づくたびに、するすると先へ逃げていく。なぜなら、「稼いだら幸せになる」という考えの根っこには、「今の自分は、まだ幸せになるに足りぬ」という飢えが、居座っておるからじゃ。その飢えは、金では、決して満たされぬ。金が増えれば増えるほど、「失うのがこわい」という新たな飢えが生まれ、幸せは、また一歩、遠のく。
そうして、そなたは気づく。あるいは、気づかぬまま終わる。――「稼いだら幸せになる」の“いつか”は、地平線と同じよ。歩いても歩いても、同じだけ遠ざかる。ゴールを“稼ぎ”に置くかぎり、幸せは、永遠に、あと一歩先にあり続ける。そなたは、たどり着けぬ場所を目指して、今日という足場を、一枚ずつ、質屋へ売り渡しておるのじゃ。」
「幸せになってから稼ぐ」――順序を、逆にしてみよ
ここで、順序をひっくり返してみよう。「稼いだら、幸せになる」――この順序を、そっと逆さにする。「幸せでいるから、稼ぎが巡ってくる」と。突飛に聞こえるか。じゃが、これは古来、豊かに巡らせた者たちが、ひそかに知っておった順序じゃ。
考えてみよ。今日という日に、小さな満ち足りを見つけられる者は、どんな顔をしておる。焦りがなく、余裕があり、目に光がある。人は、そういう者のそばに寄りたがる。良い縁も、良い話も、機嫌よく満ちておる者のところへ、自然と集まってくる。逆に、「まだ足りぬ、まだ幸せではない」と飢えた顔をしておる者からは、縁も機会も、そっと離れていく。誰しも、乾いた者より、潤うた者のそばにいたいものじゃ。――幸せは、稼ぎの“ごほうび”ではない。稼ぎを呼びこむ“土壌”のほうじゃ。順序が、逆なのじゃ。
金運の巡りというものは、古来「満ち足りを知る者の背を押す」と語り継がれておる。今日この日に「ああ、悪くない一日じゃ」と頷ける者のもとへ、次の一巡りが回ってくる、とな。断じて保証はせぬ。じゃが、飢えた手より、満ちた手のほうに、次のものが載りやすい――この理は、金にかぎった話ではあるまい。まず今日、満ちてみよ。稼ぎは、そのあとから、ついてくる。」
「今」を犠牲にする癖は、いつまでも終わらぬ
ここで、そなたに、ひとつ厳しい真実を突きつけねばならぬ。「今は我慢して、いつか楽しむ」――この癖を身につけた者は、その“いつか”が来ても、決して楽しめぬ。なぜなら、我慢が、癖になっておるからじゃ。
若いうちは「稼いでから」と楽しみを先送りにし、いざ稼げるようになると、今度は「失うのがこわい」と使えぬ。子育てのうちは「手が離れたら」と自分の時間を後回しにし、いざ手が離れると、「今さら、何を楽しめばよいのか」と、楽しみ方を忘れておる。――そなたは気づかぬうちに、「今を味わわぬ」という生き方そのものを、身につけてしまう。“いつか”が来るのを待っておるあいだに、“今を生きる力”のほうが、痩せ細っていくのじゃ。これほど、もったいない話があるか。
そして、いちばん静かで、いちばん重い代金がある。もし、そなたのそばに、大切な人がおるなら――その人は、そなたが「稼いでから」と先送りにしておる、まさにその“今”を、そなたと分かち合いたいのじゃ。豪華な旅でも、高価な品でもない。ただ、機嫌のよいそなたと、なんでもない一日を、共に過ごしたいだけよ。そなたが“いつか”のために質に入れておる今日は、そなた一人のものではない。そなたを想う者の、今日でもある。これを、軽く見るな。」
なぜ、先送りするのか――そのほうが“こわくない”からじゃ
厳しく突いておるが、そなたを責めておるのではない。「稼いだら幸せになる」と、今日を先送りにしてしまうのには、ちゃんと理由がある。単純よ。――そのほうが、こわくないからじゃ。
「今、幸せになってよい」と自分に許すのは、案外、こわいものじゃ。今の暮らしのなかに、すでに満ちているものを認めてしまえば、「これ以上、頑張らなくてもよいのか」と、張りつめた糸が、ふっとゆるむ気がする。あるいは、「今、幸せだ」と口にした途端、それを失うのがこわくなる。だから、いっそ「まだ幸せではない、いつか幸せになる」と言うておくほうが、安全に思える。手に入れておらぬものは、失いようがないからな。――“いつか”に幸せを預けておけば、傷つかずに済む。それが、先送りの正体じゃ。
じゃがな、その安全には、途方もない代金がついておる。傷つかぬ代わりに、そなたは、今日という日の喜びを、まるごと手放しておる。減るのがこわくて握りしめた手は、新しいものを、ひとつも載せられぬ。失うのを恐れて“今”を味わわぬ者は、失う前に、すでにすべてを味わい損ねておる。――こわさから先送りするその癖こそ、いちばん高い買い物なのじゃ。」
稼ぐことを、やめよとは言わぬ――質草を、間違えるな
ここで、取り違えぬよう、はっきり言うておく。わしは、「稼ぐな」とも、「先のことを考えるな」とも言うておらぬ。稼ぐことは、よいことじゃ。明日に備えることも、立派な心がけじゃ。わしが正したいのは、そこではない。――そなたが、質に入れるものを、間違えておる、その一点じゃ。
賢い者も、たしかに“今”を差し出す。じゃが、彼らが質に入れるのは、“どうでもよい今”のほうよ。だらだらと過ごす今、惰性で流す今、なんとなくの浪費の今――そういう、なくても困らぬ今を削って、明日の種を蒔く。ところが、そなたが差し出しておるのは、逆じゃ。大切な人との今、心が満ちる今、二度と戻らぬ今――削ってはならぬ今のほうを、質屋へ預けておる。前の便でも言うたな。「大事な一戦で財布を閉じ、つまらぬ所で開く」と。今日の話も、根はまったく同じよ。
だから、問うべきはこうじゃ。「わしが今、稼ぎのために手放そうとしておるこの“今”は、削ってよい今か。それとも、二度と戻らぬ今か」。この見分けさえつけば、そなたは、稼ぎながら、同時に今日も味わえる。稼ぐことと、今を生きることは、どちらか一方を選ぶものではない。質草さえ間違えなければ、両方、手のなかに残せるのじゃ。」
今日、ひとつだけ、“質から請け出して”みよ
では、どうする。今日から、壮大なことをせよ、とは言わぬ。ただ、今日という日から、ひとつだけ、質に入れておった小さな幸せを、請け出してみよ。これだけでよい。
たとえば、「稼いでから」と先送りにしておった、あの一杯の、少し良い茶を、今日、味わう。ずっと「落ち着いたら」と後回しにしておった、大切な人への一本の電話を、今日、かける。忙しさにかまけて見送っておった、夕暮れの空を、今日、五分だけ、ちゃんと眺める。――どれも、たいした銭も、暇もいらぬ。じゃが、その小さな一手が、「幸せは、いつかではなく、今日、ここにある」という事実を、そなたの手に、たしかに握らせてくれる。
覚えておけ。“いつかの幸せ”は、地平線のように逃げていく。じゃが、“今日の小さな満ち足り”は、手を伸ばせば、すぐそこにある。前者を追い続ける者は、生涯、飢えたまま。後者を掴める者は、稼ぎの多寡にかかわらず、今日、豊かじゃ。幸せとは、たどり着く場所ではない。今日、味わうと決めた、その瞬間のことじゃ。大きな元手はいらぬ。今日ひとつ、質草を、そっと請け出す。それだけで、巡りは向きを変えはじめる。」
まず“何を先送りにしがちか”を知れ
とはいえ、自分がどんな幸せを、いちばん先送りにしやすいのか、その癖は、自分ではなかなか見えぬものじゃ。休むことを後回しにする者もおれば、人との時間を削る者もおる。楽しみを「贅沢だ」と遠ざける者もおれば、自分にだけ厳しくする者もおる。先送りにする癖の在りかが違えば、請け出すべきものも違うてくる。
金運の社の金運タイプ診断は、そなたが金と幸せに、どう向き合いやすいか、その傾向を映す鏡じゃ。自分の癖を知れば、「だから私は、いつもこの幸せを、真っ先に質へ入れておったのか」と、腑に落ちる。責めるためではない。今日、真っ先に請け出すべき一手が、どこに眠っておるかを、見定めるためじゃ。
そして、朝いちばんに今日の金運をのぞくのも、今日を取り戻す、よい足がかりになる。占いや吉日は、当てるための道具ではない。「今日という日に、ひとつ、小さな幸せを味わう」と、その日ひとつ、自分に約束をするための杭じゃ。“いつか”に流される前に、朝、杭を一本打つ。それだけで、今日が、今日として立ち上がる。迷うたときはおみくじを一度引いて、出た言葉を「今日、味わう幸せ」の合言葉にするのも一興じゃ。占いの言葉を、今日を慈しむ杖に変えられる者は、強い。」
結びに――幸せは、“稼いだ先”ではなく、“今日”に埋まっておる
最後に、この読みものを開いてくれたそなたへ、問いをひとつ残す。難しいことは何もいらぬ。今日一日、こう自分に問うてみよ。――「わしは今日、“いつか”のために、どんな今日を質に入れた。そして、そのうちいくつを、請け出せるか」とな。
その問いが、そなたの明日を、静かに変えていく。厳しいようだが、これは呪いではない。むしろ、救いじゃ。なぜなら、質に入れた今日のうち、まだ過ぎておらぬ“これからの今日”は、いくらでも請け出せるからじゃ。稼ぎの多寡も、育ちも、関係ない。ただ、「幸せは、稼いだ先にある」という取り引きを、そっと解く。そして、「幸せは、今日のなかに、すでに埋まっておる」と、順序を戻す。それだけで、そなたの目に映る一日が変わり、まわりに集まる縁が変わり、めぐる巡りが、向きを変えはじめる。
わしは、甘い言葉は言わぬ。じゃが、落ちる前には、必ず袖を引く。今、そなたの袖を引いておるのは、そのためじゃ。――さあ、今日そなたがするのは、“いつか”のために今日を質へ入れることか。それとも、今日という日を、その手に請け出すことか。答えは、そなたの今日のなかに、すでに埋まっておる。掘り起こすのは、稼いだ先ではない。今、ここじゃ。視鬼のコラムは、また次の耳の痛い話を持って、ここで待っておる。逃げたくなったら、いつでも戻ってこい。何度でも、袖を引いてやる。」
※本記事は占い・風水・古くからの言い伝えを、娯楽の範囲でご紹介するものです。記載の内容は効果や結果を保証するものではありません。宝くじ等の当選を保証するものではなく、ゲン担ぎ・縁起としてお楽しみください。暦(吉日)は流派・暦により差が出る場合があるため、実際の日付は最新の暦でご確認ください。健康・体調に関する判断は専門家にご相談ください。一部にプロモーション(PR)を含みます。

